読んでいない本について堂々と語る方法

 

今年の目標は、たくさんたくさん本を読むことだ。
先日知人との忘年会で決意した。

ちょうど良いことに(?)、お気に入りのブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」で表記の本が紹介されていた。

このブログではとても魅力的な書評が綴られていて、ちょくちょく、紹介された本を購入してしまう。そして、結構な割合で、購入した本そのものよりもこのブログの書評の方が面白かったりもする。 そんなブログで、またとても面白そうな本が紹介されていたのだ。

なんと、読んでもいない本について、堂々と語る本だ。書評という意味では、上記のブログがかなり面白いので参照されたい。

私は、本を図書館で借りて読んだりするのが苦手だ。また、読み終わった本を古本屋へ売ることも苦手だし、週刊紙を捨てることにも躊躇いを覚える。それは、どこか本をコレクションとしてみているのだろうなと今日まで漠然と思っていた。

が、が、が、違うんだ、それは。この本によると、『「読んでいない」と「読んだ」とのあいだにある境界があまりにも曖昧』であるためなのだ。私は、「もの」としての本を手元に置いておかないと「よんだ」ことが確かなことなのかわからなくなるのがきっと不安でしょうがないのだ。「もの」としての本自体手元にないと、確かに時間をかけたはずの読書体験が霧散してしまうことを本能的に感づいていて恐れていたのだ。 目からうろこだ。

確かに、とても感銘を受けた本でも、1年も時間があれば、「感銘をうけた」ということ自体以外のほとんどを忘却する自信がある 。

であるならば、要点だけの拾い読み10倍速読や、なんちゃってフォトリーディングで何がいけないのか?私には、今の読書スタイルにこだわる理由が何かあるのか?

今年はたくさん本を読む前に、まず、読書スタイル、読書法をまず検討する必要がありそうだ。

 

 

・・・ と、読んでもいない本について少し語ってみた。

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